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1週間、1か月、1年で生まれる圧倒的な差
2015年5月11日
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日々、接する情報に対して
「自分は無関係」と思うのか
「すべてのことが、将来、
自分と関係が生まれてくる可能性があるから、
勉強しておこう。記憶しておこう」
という思いの強さの差が、そのまま、
「将来の差」
に直結するものだと思います。
「触れる全てが自分に関係する情報である」
そんな思いが旺盛な好奇心をもたらし
日々、情報に接するたび
流さず、やり過ごさず、
気を入れて血肉にしようと思う
こうした小さな心がけの集積、蓄積が、
一週間、一か月、一年
あるいは数年という時間を経て、
「圧倒的な差」
となって表れてくるのです。
気を入れていてさえ日々の体験や
学びがザルのようにこぼれ落ちるのを
嘆いているくらいですから
気を入れて接しなければ
入ってきたものがそのまま
全部流出してしまうに違いありません。
せっかく見た、聞いた
体験したにもかかわらず。
繰り返しになりますが
「どんな構えで、人生を生きているか」が
「未来を切り開くチャンスをつかめるかどうか」
にそのまま結びついていくのです。
たとえば未来を予測し
「これが役に立つ」
と思うものには、取り組んで
あるいは学んで、あとは、すべて捨てていく
好奇心を沸き立たせることもなく
興味も関心も持たない
というのは、実につまらぬ考え方。
人生、何が幸いするかは
誰にも予測することはできません。
だからこそ
「人生に幸いする、役に立つ可能性のあるもの」
について、興味関心の幅を
広げていくべきであると考えているのです。
こういう心構えで生きていると、
例えば、
「あることについて、多少なりとも知っていたか、
興味を持ったことがあるかどうか」
によって、
それがきっかけとなり
人と仲良くなれるかもしれませんよね。、
チャンスがもらえることも、往々にしてあるわけです。
ただし、何が役に立つかは
あらかじめ予期して備えておくことはできません。
だからこそ
「あらゆる世の事象に対して貪欲に好奇心を持ち、
自分の血肉にしようとする姿勢でいる」
必要があるのではないでしょうか?
反対に、
「選択と集中」
という言葉の完全なる誤用によったりして
視野をわざわざ狭く持ち、
学びの対象を限定してしまうと
人間関係が広がらず、
チャンスの芽も生まれず
ますます世界が狭くなっていく
そんな悪循環に陥っていくことになるでしょう。
なにも、全ての分野においても専門家になりましょう!
といっているのではありません。
日々、接する様々な分野について
自分には関係ない!と一刀両断するのではなく
ほんの少しでいいので、
関心を振り向けてみてはいかがでしょうか?
そう感じたらボタン押してね(*^_^*)
次回に続く

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